不可逆な毎日ブログ

2度と過ごすことのない毎日をつらつらと・・・

それでもボクはやってない

帰り際、裁判員制度のニュースが流れていた。
そのとき、思ったのが、裁判官を増やせば良いんじゃない?だった。
それだけじゃ、駄目なのだろうか。あと、我々一般市民が、裁判員制度により、
参加することになった場合、裁判官の給与というか、人件費は削減されるのだろうか。
削減されないのであれば、なんなんだろうとふと思った。
調べたら、導入理由は、以下の通りだった。

裁判員制度は、「司法制度改革」の一環として、死刑制度に反対する公明党主導で導入された。国民が刑事裁判に参加することにより、裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民の信頼向上につながることが目的とされている。
wikipedia:裁判員制度

そうか、裁判のスピードかではないか・・・。

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見た。裁判は、裁判官の主観か、と言うのが正直な感想だった。
映画に関して言えば、監督の主観になるのだろうけど、それは除外して。
様々な検証を行った場合、それに対しての反対意見の検証もせず、判断するのはいかがなものかと。
データを集めるだけ集めて、結局、主観ですかとなると、かなりかわいそうである。
しかし、これが現実なんだろう。主人公が最後に頭の中で発した言葉のように。

電車で通勤しているものとして、この問題は、とても重要な問題である。


明日は我が身かも知れない。


女性にとっても、痴漢行為は許されるものでもないし、恐怖であると思う。
しかし、痴漢えん罪も、男性側から見ても、許されるものでもないし、恐怖である。
映画の中でも指摘されていたが、なぜ、実際やった人間が、保釈され、
していない人間が拘留されているのか。

やっていないことの証明は難しい。通常、やったことの証明をすべきなのに、そうでない。難しい。
人間、それほど、日常を覚えているものでもないし、仮に自分に降りかかった場合、どうなるのだろう。


えん罪だった場合、それに関わった人間に対して、やはり、法的処罰を与えるべきだと考える。
そう言うことはあるのだろうか。
人生を左右する問題であるから、警察官、駅員、裁判官に関しては、責任をとる義務があると思う。
でも、ないんだろうな。